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WCCM創設当初の思い出と今後のテクノロジーの発展への期待(ノーカットバージョン)※

2023.01.01 2023.01.04 更新

※出典(計算工学 Vol. 27, No. 4)の完全版です。紙面都合により省略した箇所を全て掲載しています。

 

はじめに

 皆様もご存知の通り、第15回のWCCM(World Congress on Computational Mechanics)が、2022年7月31日から8月5日まで、実に28年ぶりに横浜で開催されました。私もWCCMには創設当初から何度か関りを持たせていただき、今回もスポンサーのお話をいただきました折に、その当時の思い出話などをさせていただきました。スポンサー枠での発表では、単なるソフトウェアの紹介にとどまらず、私の生い立ちから現在に至るCAE(Computer Aided Engineering)との関りについて、話をさせていただきました。ある意味、自分を振り返る良い機会になったかと思っております。また、今回、本誌「計算工学」にて、WCCMの特集をされるということで、寄稿させて頂く機会をいただきました。そこで、ここではWCCM創設当初の思い出や今後のテクノロジーの発展について、私の思いを書き留めたいと思います。しばしお付き合いを頂けましたらと思います。

 

WCCM創設当初の思い出

有限要素法との出会い

 私が有限要素法(FEM)と出会ったのは、大学4年の時(1969年)です。当時、九州大学の造船科にはFEMの先駆者のひとりである栖原二郎教授がおられました。たまたまMARCの創始者マサール先生と、混交法の創始者であるMITのピアン先生が九州大学を訪問されたことがあり、そのとき、先生の紹介で、幸運にも直接お二人と会話する機会を得ました。このことが、私がFEMの勉強を始めるきっかけとなりました。信じられないことかもしれませんが、栖原先生自身の修士論文のテーマは、有限要素法の基礎となるマトリックスを用いた構造解析の手法でした。1945年のことです。世間一般に有限要素法が知られるようになったのが1950年代半ばですので、先生の修士論文はそれよりかなり先行していたことになります。その論文の一節に『計算機があれば、規模の大きい問題をシステマティックに解ける』という言葉が記されていたのを記憶しています。今の時代はもとより、私たちの学生時代とは大きな違いです。

 さて、同じ年の1969年には、偶然にも日米マトリックスシンポジウム第1回(米国)が開催されました。確か2回目は1971年に東京で開催されたと記憶しています。このセミナーが日本におけるFEM研究を加速した最も大きなイベントであったと思います。私のFEMの勉強もこのブームに乗ったものです。今ではFEMが計算力学の中心ですが、当時、大学にFEMの講座があるわけもなく、FEMの勉強はもっぱらクラスメートと2人で始めたテキストの輪読でした。このとき使用したテキストは、FEMの名著(バイブル)、Zienkiewicz 博士の原書「Finite Element Method in Engineering Science 初版」でした。英文で書かれた原書であり、初版ということもあって、記述が非常に抽象的でした。学部4年のレベルには難し過ぎたのですが、何とか理解しようと何度も読み直した事を覚えています。この難解なテキストを苦労しつつも読み通したことが、私のFEMの基礎になったと思っています。

 修士論文では、こともあろうに、材料の非線形と幾何学的非線形を同時に考慮したFEMの課題にチャレンジしました。指導教官は栖原先生というまたとない大先生に恵まれましたのですが、選点法の研究をしなさいとの先生のアドバイスに反発したため、残念ながら先生の指導を受けられませんでした。当時は平板に丸い穴を開けた弾塑性解析が、学会の論文として通用する時代でした。そのような時に、材料と幾何形状の非線形をトピックにしたこと自体、無謀なチャレンジだったかもしれません。今では、我流ですが、独自の世界を創り上げたと思っています。このような新しいことにチャレンジすること、そのために努力をすることは、現在のテクノスターでの活動にも連綿と息づいていて、私のモットーの1つだと自負しております。

 

WCCMIIIと産業応用フォーラム

 前回、日本で開催されたWCCMIIIは、1994年であり28年前とのことでしたが、私もこの時に少なからずお手伝いをさせていただきました。具体的には、並行して開催された、産業応用フォーラム(Industrial Application Forum)に携わらせていただきました。きっかけは、当時、東京大学で教鞭をとっていらっしゃった、矢川元基先生のご指名でした。この時には、川井先生(東京大学)、大坪先生(東京大学)、川原先生(中央大学)、登坂先生(日本大学)、武田先生(法政大学)など、多くの先生方や、企業の方々と一緒に作り上げたことを記憶しております。

 特に思い出深いのは、プログラムの編成会議が午後3時から始まったのですが、午後8時になっても終わらず、延々と続いたことがありました。その中で、なかなか決まらなかったのが、海外からの来賓の宿泊費の補助についてで、一人当たり300円だったか、400円だったか記憶がありませんが、値段が高い、あるいは安いと、なかなか決められずに、会議が堂々巡りをしていました。

 それならば「エムエスシーが差額を出しましょう」と私が提案したところ、大坪先生に「何の権限があってそんなことをするのか」と、お叱りを受けました。しかし、私も川原先生の代理で出席していたこともあり「川原先生の代わりなので、権限はあります」と、とにかく収束させたい一心で再度提案しました。最終的には、武田先生に仲介に入っていただき、他の協力企業さんと分担して負担することで丸く収まりました。これは極端な事例でしたが、とにかく1つ決めるにしても、成功させたいという先生方の思いが強すぎたのか、とにかく時間がいくらあっても足らないというような状況だったことを記憶しています。

 後日談ですが、この後、皆さんで宴会をして逆に関係が近くなったのは、まさに雨降って地固まるといったところかと思っています。こうした国際会議での準備をご一緒させて頂いたことが、現在に至る私の人生に大きく関係していると、今になってみれば感慨深いものがあります。

 さらには、当時のWCCMの主催者には、矢川先生以外にも、オーデン先生や、トムヒューズ先生など時代を代表する先生方がいらっしゃいました。トムヒューズ先生とは、朝方まで銀座で酒を酌み交わしたことは、昨日のことのように思い出されます。こうした先生方と、この会議を通して、交流をさせて頂いたことは、大変貴重な機会を頂いたと感謝しております。

 実は、こうした機会を作っていただきました矢川先生とは、WCCMのみならず、ICCES( International Conference on Computational & Experimental Engineering and Sciences)でもお世話になりました。この時は、1992年の香港での開催で、私が香港に駐在していた時だったこともあり、会議をお手伝いさせていただきました。具体的には、1つのセッションをコーディネートさせていただきましたが、発表者には、当時の日産研究所の萩原先生(現明治大学)や岡田裕先生(現東京理科大学)がいらっしゃいました。

 岡田先生とは、だいぶ後になってのことですが、2005年くらいに、矢川先生の研究会で再会することになりました。矢川先生や岡田先生との関係は今でも続いており、弊社の社員には、矢川先生の教え子や、岡田先生の教え子、さらには、岡田先生の教え子の教え子(孫弟子?)もおり、現在、素晴らしい活躍をしてくれています。先生方とのこうしたつながりが無ければ、今のようなスタッフと巡り合うことはできなかったと思いますので、つくづく人の縁というのは、不思議なものだと感じます。

 人の縁というところで言えば、WCCMやICCESなどで、一緒に汗を流した1人に、「株式会社くいんと」の石井さんがいらっしゃいます。石井さんとは、かれこれ30年以上のお付き合いになりますが、今でもお互いの製品の連携をとるなど、協力関係を築いております。今後も国産CAEベンダー同士、シナジーを出して、お客様に貢献していければと考えています。

 

今後のテクノロジーの発展への期待

学術と産業の融合

 私が大学で材料力学や有限要素法を学んだことは、冒頭にお話させていただきました通りです。当時、大きな影響を受けた先生として、九州大学機械科の西谷先生や造船科の山越先生がいらっしゃいました。西谷先生にはビーム理論の原理を教わりましたが、非常に分かりやすく、また興味が沸くように、実に上手に教えていただきました。山越先生は材料力学を駆使して、巧みに船の強度を説明されておりました。当時はまだ今のようなコンピュータはなく、計算機と言っても計算尺でした。

 その後、日立造船に入社しましたが、その頃には、タイガー計算機が導入されて、大変便利になったことを記憶しています。私は、入社後にさらに便利な電卓とワープロを上司の許可を得ずに導入し、怒られましたが、結果として、それまでとは何倍もの成果を上げ、効率が大変上がったと、最終的には褒められた記憶があります。

 もちろん、FEMと言っても、大学時代の節点数は100節点程度でした。日立造船時代は、大学時代とことなり、平板のような簡単な形状ではなく、実際の船の構造モデルでしたので、いかに少ない節点でモデル化をするかということに苦心していました。そこで活きてきたのが、学生時代に学んだビーム理論です。ビーム理論を駆使することで、新設計にもチャレンジしていました。今では船の構造解析モデルは板要素が一般的で、それも全船をモデル化するような時代になりました。さらには、部分的な詳細構造には、ソリッドモデルを適用するようになってきました。近い将来、全船まるごとソリッドで解析することも実現できると思っています。

 今の若い人たち、特にZ世代と呼ばれる人たちは、コンピュータはもとより、スマートフォンやタブレットなど、デジタルネイティブな世代です。私たちのころには、夢だったことが、現在はたくさん実現しています。そんなZ世代の人にこそ、原典である材料力学や計算工学をしっかりと学び、デジタルに惑わされないようにしていただきたいと思っています。また、そうした世代が社会に出てきた折には、私たちのような古い世代が、道を間違えないように指導することも重要な役目だと思っています。

 学術的な側面として、有限要素法、材料力学、構造力学など計算力学の基礎を学ぶことで、安易に、一見正しそうな結果が出ても、本質的に誤ってしまう、場合によっては、非常に致命的な、人命を脅かすような製品になってしまうことを防ぐことにつながるかと思っています。こうした観点からも、やはり学術や基礎研究は大切ですし、企業側もそれを支援すべきだと考えています。

 

今後のテクノロジーの発展とWCCMへの期待

 第1回のWCCMは、1986年に開催されましたが、WCCMの開催に先立ち、IACM(International Association for Computational Mechanics)という国際的な組織が設立されました。その後、1994年に私も関わらせていただいたWCCMIIIが幕張で開催されましたが、これをきっかけに日本計算工学会が発足しました。こうした国際会議や学会の発足により、計算力学の裾野が広がったと思っています。

 こうした背景もあり、日本でも計算工学、計算力学といった言葉も普及し、コンピュータの発展とともに計算量が圧倒的に多くなりました。私が2002年にテクノスターを設立した時は、100万節点が大規模と呼ばれておりました。まだ当時のコンピュータは32bitが主流でしたが、20年経った今は、64bitが主流となり、メモリも大規模になり、CPUの計算能力も想像を超えるスピードで性能が上がりました。一昔前のスパコン、おそらく地球シミュレータ以上のレベルのものが、現在のスマートフォンに収まっていると思います。

 当然のことながら、扱うモデルの規模は大きくなり、1億節点も超える規模のFEM計算ができるようになりました。扱える計算量が増えたということは、それだけ対象とする範囲を広げることも可能です。また計算処理が早くなった分、計算時間が短くなり、その分、結果の検証、設計へのフィードバックなど、その恩恵は計り知れないかと思います。私が設計していた時代に、こうしたツールがあれば、どんなに良かったことかとしみじみ思います。もっといろいろなことに挑戦できたと思います。

 それだけに、忸怩たる思いもあります。今の若い人たちには、もっと勉強して、せっかくの恵まれた環境を最大限に生かすように努力してほしいと思います。そして、一見無謀と思える発想であっても、チャレンジをしてほしいと思います。

 今の話題はAI(人工知能)であったり、VR(仮想現実)であったり、そしてDX(デジタルトランスフォーメーション)と、とにかくコンピュータがベースとなっています。もちろん、船や車、その他家電も含め、様々なところでコンピュータは使われています。そして、その開発サイクルが早くなればなるほど、計算力学や、CAEといったツールはますますその重要性を増すことと確信しています。

 もう一つ重要な観点があります。それは実験です。私は以前より、実験の重要性をことあるごとにセミナーなどの発表やお客様とのディスカッション、もちろん社員にも説いてきました。座学(学術)とCAE(シミュレーション)と実験は、三位一体の関係だと考えています。CAEはあくまでもシミュレーションであり、実験をして本当にその現象が発生するか、確認する必要があります。これは製品の完成形に留まらず、製造工程や、ユーザの利用後の経年劣化による現象なども含まれます。昨今、Digital Twinといったキーワードが盛んに取りざたされていますが、まさに現実とシミュレーション(実験とCAE)の相関関係が注目を浴びています。実データを収集すること、そしてどのように分析するかはもちろん大事ですし、シミュレーションの結果と一致しているかの確認も大切です。さらに最も重要な点は、本質的にそれらのデータが理に適っているか、正しく取れているものか、シミュレーションの条件は正しく設定されたものなのか、やはり基礎的な計算力学の知識がなければ、こうした状況での正しい分析は不可能だと私は確信しています。

 現代は、膨大なデータ、いわゆるビッグデータが集積され、最先端のコンピュータによりビッグデータを生かした計算が実施されますが、それを生かすも殺すも、その人の知識と経験次第ということは、普遍の心理だと思っています。

 

おわりに

 私がテクノスターを設立したのは2002年でしたので、今年でちょうど20周年を迎えます。この20年の間に、日本のみならず、世界の情勢は大きく変化しました。また、2020年から流行したCovid-19の影響により、さらに今後の世界はリアルの世界とバーチャルの世界の境目がなくなってきたように思います。

 私がテクノスターを立ち上げた1つの大きな理由として、CADやCAEといった領域は、ほとんどが欧米のソフト会社が中心だったことがあります。日本はものづくりが盛んな国で、技術力は世界トップクラスです。日本人は世界に誇れる勤勉さと優秀さを兼ね備えた民族です。そうした中、学術界を中心に人材育成に力を注いでいただいて、ハードウェアも世界トップクラスで、ソフトウェアだけが、欧米中心で、まだまだと感じたというのが率直な意見です。私は、日立造船でものづくりの現場を知り、エムエスシーでソフトウェアに携わり、多くの人と知り合うことができました。日本には、まだまだ優秀な人材が多いですし、ソフトウェアであれば、少人数でも十分に世界に通用するものができると考えています。それを証明するために、テクノスターを設立したと言っても過言ではありません。そして、その可能性があることを教えて頂いたのも、WCCMを始めとした、先生方の研究発表です。エムエスシー時代から先生方の研究発表には、多大なる影響を受けました。テクノスターは、先生方の研究成果を企業へ橋渡しすることのできる会社としても皆様の期待に応えていきたいと思っています。


  • 筆者紹介

立石勝(たていしまさる)

九州大学卒、1971年日立造船入社(基本設計に従事)、1986年日本エムエスシー入社(香港勤務)、1992年日本エムエスシー代表取締役、1996年MSC.Software本社副社長、2002年株式会社テクノスターを設立し、TSVやJupiterなどを国産自社開発し、現在に至る。


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